「3日」の問題

期待されていたロケット「イプシロン」、27日の打ち上げが発射前19秒で停止となって、ちょっと期待がしぼんでいる。私を含め多くの人がその瞬間を見守り、13時45分の「ゼロ」の声と共に何事も起こらなかったロケットに「?」と感じたことだろう。

おそらく機械的なトラブルが根本的な原因であり、近日中に問題が解決され打ち上げられることは間違いない。
ただ、私としては、打ち上げ後の広報対応に少し疑問があったので、書いておきたい。

それは、森田泰弘プロジェクトマネージャーの記者会見である。当日の記者会見では、まずJAXA理事長や宇宙開発担当大臣などの会見(15分くらいか)があり、その後森田プロマネが1人で記者会見に臨む「第2部」があった。
そのときの模様は、宇宙作家クラブの掲示板に記録されている。私が問題だと思ったのは、「3日」で打ち上げができるだろうという部分である。その記録から、問題の部分を引用してみよう。

日経新聞 スケジュール見通しについて。
森田 原因究明に半日、特定に半日、検証に1日。少なくとも二日間は時間をいただきたいと考える。現時点では最短3日後に打ち上げるということもありうる。

この言葉が元になって、各社の見出しに「イプシロン、3日後に打ち上げ」という言葉が出てくるようになった。例えば、

もちろん、3日後というのは最短であって、あくまでうまく行った場合だということはわかっている人は理解している。
しかし、メディアの記事はわかっている人ばかりが読むわけではない。見出しだけを読んでパッと知ろうという人も多い。特に数字はそうである。数字だけが独り歩きしていく怖さは、広報に携わった人なら誰もが経験しているだろう。

だからこそ、広報の現場では数字の扱いは慎重にしなければならない。私もそのように教わってきた。
森田プロマネの「最短で3日」というのは、実際のところまだ原因も何もわかっていない時点のことで、架空の数字でしかなかったはずである。そして実際、今日はJAXAも、打ち上げが9月まで延びることを発表している。

おそらくであるが、森田プロマネは、記者の質問に対し、ていねいに答えようとしたのだろう。また、誰もが新しい打ち上げ日を気にしている状況を知っていて、あえてサービスをしようとしたのかも知れない。

しかし、そのようなことは本来してはいけない。確実になっていないことを数字にしてしまうことは、あらぬ見通しを生む可能性を産んでしまう。例えば、3日後とあるから3日後にまた打ち上げをみにやってくる、という人だって出るかも知れない。時期は夏休みの終わり。最後の可能性と考えて宿や交通機関の予約を取ろうとする人もいるだろう。メディアだって3日という想定で準備をはじめるかも知れないし、実際そうしていたかも知れない。

メディアは数字を欲しがる。おそらくではあるが、その方がわかりやすいからだろう。わからないことというのは皆不安だから、数字になっていてしっかりと伝えられる方が安心するのかも知れない。
私も昨日、テレビ番組に出演してイプシロンの解説をしていたが、20秒前の搭載計算機の電源ONから19秒前の打ち上げ中止まで、わずか「1秒」という部分を強調するように指示が出ていた。実際には、電源ON→シーケンス停止は1秒以内であったと思われるし、おそらく打ち上げ前19.xxx秒というのが正確なところで、1秒という数字には意味はない。でも、メディアではその1秒というのを強調したがる。「すぐに」という言葉を「1秒で」といった方がわかりやすいということなのだろうか。

だから、数字を扱うときには気をつけなければならないし、裏付けのない数字は言ってはならないのである。でも、森田プロマネの記者会見の席には広報担当者はいなかった。森田プロマネが1人で担当していたのである。
広報担当者がいれば、その訂正・補足をすぐに行うこともできただろうし、あるいは事前ブリーフィングで数字の扱いに気をつけるように伝えることもできただろう。しかし結果的には「3日」が独り歩きしてしまった。

小さい問題かも知れない。わかっている人はわかっているから、問題はないだろうと思う人も多いだろう。でも、こういう小さいところに、いまのJAXAの広報体制、さらにいえばJAXAのゆるみ、みたいなものがないと断言できるだろうか。

さらにいえば、「はやぶさ」の成功以来、広報に甘えが生じていないだろうか。
かつて宇宙開発は、メディア報道としては逆風にさらされ続けてきた。成功しても取り上げられず、失敗すれば「税金の無駄遣い」「お粗末」「単純ミス」と見出しがつく。こちらがどのように細かい資料を配ってもほとんどみてもらえず、成功の何倍もの大きさの記事が失敗のときの紙面を飾ることになる。

確かに「はやぶさ」はそのムードを変えた。あれ以来、メディアは日本の宇宙開発を賞賛し、トップ技術を誇る日本の宝として大々的に宣伝し続けている。そして幸いにもこの3年間、ロケットや人工衛星の失敗は起きていない。
ただ、それはたまたま幸運だったからで、いつそのような事態が起きるかは予想できないのだ。私だって、2003年10月に、打ち上げたばかりの「みどりII」が突然通信を絶つなどということは想像もできなかった。困難は大体予想していないところで、突発的に、しかもいちばんひどい形で降ってくるのである。

失敗をすることもある。でもそれは次につなげていくためにどうしても必要なことであり、そのために国費をもって宇宙開発を続けている。このことを伝えていくために実に何年かかったことか。しかし、信頼というのは実際脆いものである。1回の失敗が世論のムードをガラリと変えるのである。
だからこそ、普段から広報も気を使い…緊張感をもって伝えていかなければならないのだ。それは細かい点にも及ぶし、細かい点だからこそ重要になるということもあるのだ。

いつまでもみんながJAXA、さらにいえば宇宙開発に味方してくれるわけではない。JAXAはそう思っておくべきである。広報担当者を誰もつけないままプロマネを記者会見の席上に座らせたのは、たまたまだったのかも知れないし、プロマネ1人で大丈夫という自信があったのかも知れない。しかし、「アリの一穴」から崩れていくのが信頼だとすれば、JAXAはもう一度、広報体制をしっかりと見直し、担当者全員の気持ちを引き締めていくことが必要だろう。それも、イプシロンの打ち上げまでに。